還暦というのは複雑な境目であり、手放しでは喜べないものである。恩師の元京大総長で医学会総会会頭を務められたI先生が医療系SNSにおいて「私の履歴書」を連載されており、それを拝読するにつけて、やはり長寿は重要なことと痛感している。地球温暖化の問題が議論されて久しいが、気のせいか冬が年々短くなっているような印象が強い。京都ゆかりの国文学者である田中重太郎氏によれば、清少納言の代表作「枕草紙」(以下枕)が四季の見立てのルーツだそうである。「春はあけぼの」で始まる初段は多くの人に膾炙されている。その枕の中で、冬で最も趣があるのは「つとめて」すなわち早朝である。とりわけ、冬の早朝の美しさは、後世の美意識の基となり、綿々と現在まで受け継がれている。
京都で趣があり観光シーズンである冬が、リウマチ・膠原病患者さんに取っては苦難のプロローグでもある。関節痛やレイノー症状が悪化しはじめる季節であり、診療に気合が入る頃と言っても過言ではない。とりわけ、血管攣縮によるレイノー症状は、決定的な治療法が無いだけに、四肢末端潰瘍を見るたびに気鬱になる。医学は日進月歩するのが良いところで、今までは抑制性サイトカインであるインターロイキン(以下IL)10を使った、NOやエンドセリンを介する先進治療を進めていたが、臨床効果は十分でなかった。さりながら、肺高血圧症に使われていたエンドセリン受容体拮抗剤(以下ERA)がやっと、
強皮症による皮膚潰瘍に適応拡大された。ERA治療は、我田引水の私でも、IL10治療より臨床効果の優位性は有意に勝っていることを認めざるを得ない。サイトカインのクローニングが盛んであった頃には、サイトカインや抗サイトカイン阻害抗体が臨床応用されるとは夢にも思わなかった。T細胞から産生されるサイトカインだけをILと呼ぼうというコンセプトも3や8などが混入して、必ずしも貫徹されていない。
話を戻して、冬の早朝は「もの悲しさ」を痛感する時期である。国学者本居宣長(以下宣長)は、紫式部の「源氏物語」の中に「物のあわれ」を見つけ、さらに「古事記」にまで遡り「言意並朴」なる太古の神々の中に、「物のあわれ」の本来の姿を発見するに至る。そして神道における「生死の安心」にまで及び、万人はみな死ねば必ず「黄泉の国」へ行かねばならず、この意味で「死」はこの世で最も悲しいことであることを知悉している。上古の人々は、この悲しい現実を素直に享受することにより「物のあわれを知る」心機を得る。惜しむらくは、自身の死に際して、もはや何事も意識するとはできず、体感できるのは「死の予感」のみである。ただ、その代り他人の死を確かめることは可能で、奇しくも我々はこれを天職としている。してみると、医師は「物のあわれ」を知る可能性が高い仕事なのだろうか?
この疑問について、大きなヒントを与えてくれるのは、小林秀雄(以下小林)の「宣長」であろう。すなわち、この作品は、小林の天賦の叡智と鋭敏な感性、加えて自意識過多の性格を、宣長に等身大に投影したものである。そして、その中で、己自身を見出し、ひたすら宣長の中に、自己の「われ」を追求し続けた力作に思える。小林は、若くして作家を志したものの、余りにも物事の本質が見えすぎる透徹した資質の故に、作家としては大成せずに、結局評論家の道を歩むことになった。われわれ医学研究者も同じようなことが言えるのではなかろうか。予見する確度の高い医師が、研究の本質や大発見をするわけではないというのが偏見に満ちた経験則である。
さて、そんな思いに浸りつつ、冬の伊勢路を訪れたところ、松阪山室にある宣長の奥墓には、彼の遺言のとおり山桜が植えられていた。医師たるもの、患者さんの 「物のあわれ」につとに寄り添いたいものである。
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