真の自由人としての医療者
2016.01.09更新
人生還暦の峠を越えると、大半の束縛から解放されて、ある程度自在に暮らせるようになるはずであるが、現実はそう甘くない。自由自在に生きることなど、そもそも困難である。ロシアの文豪ドストエフスキーによれば「自由は、孤独で平静な力の意識」と定義している。要するに、環境に支配されることなく、孤独に徹し、孤独をつき破って、それを逆手に取って環境を支配する強い力を持つ者が、真の自由人である。江戸時代の俳人松尾芭蕉は孤独に耐えて孤独を超えて、社会的に宗匠としての地位を確立した。その足跡が、蕉門十哲の向井去来の住まいであった落柿舎に垣間見れる。大原美術館館長の高階秀爾氏によれば「西洋では言葉とイメージを分離して考えたが、日本ではすでに古今和歌集の時代から両者は合体している」と述べている。確かに、医師会に多くの同窓生がいるR中学高校で綿綿と続けられているキリスト生誕無声劇「クリスマス・タブロー」に象徴されている。タブローとは仏語で「絵画」という意味で、イメージである。そこに、聖書朗読と讃美歌という言葉が付加され分離している。驚くべきは、昨年末の上演で50回を迎えたことである。日本では、和歌から連歌、俳諧、宗達vs光悦へと進化し、言葉+イメージを絵画的効果として発展させ、「書画」という言葉が醸成された。西欧に先駆けること千年で、西洋がようやくこのことに気付いたのは19世紀末のようである。美術家横尾忠則氏によれば、西洋が見えるものへの物質的信仰すなわち即物主義であるのに対して、日本は物質の背後に見えざる精霊「アニミズム」を認め、人間と自然を同一に考える日本人の宇宙観に日本人の独自性が宿っていると評している。この意味で、禅僧良寛は真の自由人であったのかもしれない。良寛は越後国(現在の新潟県)に生まれ、長じて宗門に入り、備中国(現在の岡山県)の圓通寺で修行し印可を受けた。師の亡き後、圓通寺を出て厳しい修行の行脚に出た後、故郷の越後に戻り、國上山中の五合庵で隠棲を始めたが、この時41歳であった。ここでの20年間が良寛にとって最も充実していた。従前からの修行の成果を踏まえて、更なる孤独に徹した思索と修練が、人間としても、また書画などの芸術においても一段と磨きをかけ大輪の花を咲かせた。翻って小生は良寛和尚のごとく、小さな診療所をかけがえなのない大宇宙にして、血肉を躍動させ、闊達自在にできるのか自信がないが、それを目指したい。
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